小田原に移住したよ。

小田原移住日記

唐突な転職で小田原に引っ越した男の顛末

【オカルト?】「南無阿弥村」って何だ?普陀山観音と関係あるのか?

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南無阿弥村?

下記記事の続き。 tukamen.hateblo.jp

久野石材で調べていたら、もう一つ面白いものを発見した。下記の記事。
南無阿弥村とはなんだったのか。:東方音楽喫茶 - ブロマガ http://ch.nicovideo.jp/hukamidoriizumo/blomaga/ar1444609

ブログの日付は2018/3/8。下記引用。

3月7日に、Twitterであるバイク乗りが「南無阿弥村」という得体の知れぬ場所に近寄った際に心霊体験にあったということで話題になりました。この南無阿弥村がなんだったのかについてニコ生で考察したのでメモ書きにはなりますがまとめます。

ニコ生でちょっとした話題になっていたらしい。南無阿弥村の場所は「普陀山観音」から西に1.5kmくらい。

さらに、記事最下部には下記の文章が。

石川典行さんが3月8日に私有地と思われる地元の石材会社に電話されたそうです。石材会社の方は役所の方と思ったらしく、私有地かどうかについての質問に対しては重たい空気になり、過去に宗教施設があったかについては、「中国」の関係と話されたらしいです。

石川さんを検索してみたら、インターネット配信を仕事として取り組んでいる方の様子。ここで出てくる「地元の石材会社」は「久野石材」のことではないか。「中国の関係」とあるのは、前の記事で触れたとおり久野石材は中国から普陀山観音像を輸入するなど中国とのつながりも強い会社なので、その事を指しているのでは。

「南無阿弥村」は宗教施設だったのか?

果たして、南無阿弥村は噂されるように、かつての宗教施設を久野石材が買い取ったか何かで占有し始めたのだろうか。ニコ生で何が見つかったとかは詳しく知らないが、個人的な見解ではあの場所は元から久野石材が管理している石置き場の一部だったのではないかと思う。あのあたりの場所で、敢えて誰かが使っていた土地を使う必要は無いように思えるからだ。そんな面倒なとこじゃなくても、土地はたくさんある。

果たして真相は。

君は小田原の「普陀山観音」と「仏教彫刻の森」を知っているか?

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釣りタイトルの詫び

タイトルに偉そうに「知っているか?」とありますが、これは「知ってるか?知らないの?仕方ねーな。教えてやるよ」ではなく「知ってますか?僕は知らないんで、誰か教えてください。お願いします。」の意味です。申し訳ありません。

でも、少し分かったこともあるので共有します。残念ながら年に1、2回ある『スマホ忘れたデー』であったため、写真が一切ありません。

普陀山観音との出会い

今年の2月末頃、たまたまこの辺りを通る用事があって、その時に偶然7メートルほどの観音像を見つけた。「普陀山観音」という名前。

場所はこのへん(google MAP

この観音様、インターネット上にも極端に情報が少ない。このくらいのサイズだと情報があまり出てこないことも珍しくないが、それにしても少ない。「小田原 普陀山観音」で検索しても、関係があるのは個人ブログが2件だけ。

ちなみに普陀山は中国にあって、そこにも巨大な観音像があるらしい。

小田原 仏教彫刻の森

観音様は「小田原 仏教彫刻の森」という広場?の中にあるようだが、門が固く締められていて、入ることはできなかった。

中を覗き込むといくつかの石像が見えた。ただし、手入れがされていないようで、荒れ果てている。廃墟になっていると言って差支えないのではないか。

そもそもこの辺りは朽ちた小屋があったり、不法投棄されたと思しきテレビや風呂釜、車までが捨てられているようなところ。道も細く、観光客が来るような場所ではない。どのような利用を目論んでここに建てたか普陀山観音。勝算はどこにあったか「彫刻の森」。

調べてもなかなか情報が出てこない。もやもやが心に溜まっていた。

久しぶりにふと調べてみたら…「久野石材」という名前が出てきた

そして、最近久しぶりに検索してみたら、下記のページを発見した。

・『まちの情報誌ポスト』 2018年3月9日(金)No.1965
http://www.post-ad.co.jp/post_backnumber/post20180309-no1965.pdf

発行日が僕が前回検索した日よりも後だ。『まちの情報誌ポスト』は小田原を含む西湘地域を中心に配られるフリーペーパーらしい。これの左下に「春のお彼岸」というブロックがある。その中の「一言メッセージ」にある(有)久野石材の瀬戸誠次社長のコメントが下記の通り。

墓じまいで撤去した墓石は久野の普陀山観音で供養します。安心してご相談ください。

個人ブログにもヒントが。

そしてもう1つ発見。「小田原 普陀山観音」で出てくる個人ブログの1つ「ブログ くますちゃん」のこの記事( 外部リンク)に、普陀山観音の背中の写真があるのだが、これの正面からのものと思われる写真が久野石材店東町支店のHPに掲載されていた。(本店のHPには掲載がない)

・このページの一番下の写真
久野石材店東町支店のHP

さらにさらに

おなじみ「まちの情報誌ポスト」の古い号にも情報が。

・『まちの情報誌ポスト』 2015年1月9日(金)No.1786
http://www.post-ad.co.jp/post_backnumber/post20150109-no1786.pdf

一枚目の右下に、お馴染み瀬戸誠次社長の顔写真がある。瀬戸社長が中国を訪問し、石の買い付けを行った様子などが報告されている。そして次の文章が掲載されている。

今回の訪中では、同社が小田原市久野の建設を進めている公園「(仮称)小田原普陀山観音」(運営管理/(株)アートストーン)に展示する観音菩薩像やアクセサリー、木彫の仏像なども買い求めた。

小田原にある普陀山観音は、中国製であった。そして、瀬戸社長はあのあたりを公園にしようとしていたらしい。新聞記事は2015年のもの。現地の荒廃ぶりからして10年は経過しているかと思っていたので、意外に新しい。

もしかすると、「普陀山観音」と「仏教彫刻の森」は全然別のものなのではないか。勝手に「一緒に完成して、一緒に荒廃している」と思い込んでいたが、よくよく思い出すとまだ観音様は白さが残ってキレイだった。廃墟になっていたのは「仏教彫刻の森」だ。

もう一つ気になるのは(株)アートストーン。「ブログ くますちゃん」に掲載されている「仏教彫刻の森」の看板画像に出てくる「(株)アートストーン」と一致。この会社は検索しても一切情報が無いし、久野石材との関係は分からない。関連会社なのか、ただの発注先なのか。

いずれにせよ、「小田原 仏教彫刻の森」、「普陀山観音」の両方が、久野石材と深い関わりがあることは間違いないようだ。

で、「墓じまい」ってなんだ?

「墓じまい」とは、お墓を片づけて更地にすること。継承者がいなくなり、このままだと無縁仏になってしまうなどの場合に、お墓という形はやめて散骨したり永代供養に切り替えたりするらしい。知らなかった。

なお、墓じまいを終えて魂が抜かれた墓石は、産業廃棄物として砕いてリサイクルするというのが正しい処分法のようだ。道路整備に使われたりするらしい。一方で、そのまま山に転がして放置したり、少し削って再利用したり、地面に埋めてしまったりする不届きな業者もいるらしい。いけませんね。

久野石材では、墓じまい後の墓石を普陀山観音に持って行って供養しているということなのだろう。ここで瀬戸社長が仰っている「供養」が、具体的にどのような手順、手法で行われるのかが気になるところだ。観音様がある「小田原 仏教彫刻の森」は率直に言って手入れがされているように見えなかった。勿論、外からチラリと覗き見ただけの感想ではあるから、実際のところは分からない。自分の目で確かめて欲しい。というか久野石材さんに聞くのが一番早いかも。地元で何年も続いている業者さんのようなので。

いずれにせよ、「墓じまい」をするのはお墓を大事にする方だと思うので、実際にどこかの業者に墓じまいを依頼する場合は、事前に一度自分の足で現場を見てみることをお勧めする。

まとめ

  • 普陀山観音」が建っている「小田原 仏教彫刻の森」は廃墟化している模様
  • 普陀山観音」は中国製で、結構新しい(2015年以降)
  • 普陀山観音」「仏教彫刻の森」は久野石材が管理しているっぽい
  • 普陀山観音」では久野石材が「墓じまい」後の墓石の供養をしている

どなたか詳しい方がいたら教えてください。

タイトルなし

 初めて友人を失くしたのは、大学3年の時。大学のゼミ旅行から帰ってきたら母親からメッセージがあり、幼稚園の頃からの友人が急死したことを知った。それからいくつか近しい人々の死も経験したりして、30代も後半に差し掛かり、葬式で出てくる涙の量が昔より少ない気がして、「俺もいよいよ大人になった」なんて思うこともある。それは、人の死に対して「かわいそう」と思う気持ちの他に、「俺もいつかそっち行くよ」というのを徐々に、本当の意味で理解しつつあるからではないかと思う。

 昔読んだ小林よしのりの漫画で、「人は最後は死を受け入れて死ぬのではないか」という主旨のことが書いてあった。そんなわけあるかいと当時は思ったけど、何となく今は言わんとすることは分かる。昔と比べて目が悪くなったり、酒が抜けなくなったり、傷が治りにくかったり、近い年齢の人が亡くなったり。そういう時に、ふとその先にあるものが視界に入ることがある。また漫画の話だが、ぼのぼので「治るって楽しい」という回があった。ぼのぼのの風邪が治るだけの話なんだけど、「治る」ことの重要性が凝縮されている。治ること。つまり、元通りになることへの執着こそが、すなわち生きることへの執着となるのではないか。年を取ってくると、元に戻らないことが増えてくる。元に戻らないということは「一生それと付き合ってく」ということ。そんなことを受け入れていく連続の先に「死すらも受け入れる」ということがあるのではないか。

 20代前半で僕は飛蚊症になって、目の奥に小さい虫見たいのがピュンピュン飛んでるように見えた。すげー嫌で、一生これか…と憂鬱になったり、コンタクトレンズを購入する度に眼科で「これ何とかならんですか?」と聞いたりしていた。その度治らないと言われ、落ち込んだものだ。当然今も治っていなくて、むしろ虫増えてない?と思うが、昔ほど気にならない。これは、「一生こう」という事を受け入れたという事だ。言い換えれば、「昔の形状を失った」ということ。見慣れないホクロを見つけたり、白髪見つけたり、寒いと膝関節が痛むようになったり、と発展していく。そして、最終的には目がほとんど見えなくなったり、シャレにならない病になったりして、でも、最後は何となくそれを受け入れるのではないか。

 一方で、また漫画の話で、藤子・F・不二夫の短編「ある日」で、日常の唐突な終了で核戦争が表現されたように、「失うこと」の多くは、なんの伏線も説得力も持たずに唐突に訪れる。ホクロだろうが死だろうが、サイズは関係ない。徐々に、少しずつ、部分的に、チマチマと受け入れていくべきものが、唐突に目の前に現れる。そんな時、「なぜそうなった」「どうしたらいいのか」と、過去の記憶や想像を頼りに考えを巡らせても、ウルトラマンブルトンみたいにいびつな形の思考ができあがるだけだ。

 なんてことをダラダラ考えているのは、前々職で同僚であった同世代の友人の急すぎる訃報に接したからだ。

 不幸な出来事が、もっともな理屈と説得力を土産にやってくる、なんてことはない。理屈や分析ばかりがもてはやされて、1%でも合理的であることが良いとされる世の中においても、それは変わらない。特に受け入れがたい喪失、命に関わる喪失を受け入れるための便利技は無く、自分の頭で考えて想像して、なんかそれっぽいモノの見方を捻り出すしかないんだなと思う。しっくりこなくても、とりあえずなんか一応置いておく。そんな事を繰り返して、いつかやっぱり受け入れることができるのだろう。

 とりあえず今はブルトンを置いておこう。

 会社を辞める時に多分本当に結構寂しがってくれていた彼の姿が頭の中に浮かぶ。また飲みたかったな。ご冥福をいのります。

【小田原移住】小田原駅、開成駅、大通り。物件探し編

小田原に移住するにあたって、下記3つのエリアから選んだ。小田原駅への通勤がしやすいこと、日常の買い物(主に食べ物)が便利なこと。治安が悪くないことを重視。結果的には③にした。そして、1か月半住んでみて、満足している。③のメリットである「夜道が明かるい」。これが結構大事。夜の小田原は駅前や大きい通りを一本外れると、「墨汁?」というほど道が暗い。「夜」と言っても8時を過ぎればもうその状況なのだ。基本車社会だから、徒歩や自転車での移動をあまり想定していないように思える。一方で、大きい道路は割と遅くまでランニングしてる人がいたりするので、寂しさが少し和らぐ。

小田原駅近辺エリア

 通勤:★★★ 会社徒歩圏内
 買物:★★☆ 品質を置いておけば大体揃う
 環境:★☆☆ ちょっとゴミゴミしている
 家賃:★☆☆ 駅近は高いし、新しい物件が少ない
 主なメリット:通勤が楽。
 主なデメリット:観光地だし駅前はうるさい。夜は客引きがいる。
【まとめ】
 駅から徒歩3kmくらいで探したが、希望であった「新しめの物件」というのはほぼ無かった。あっても家賃が15万とか言われると、「小田原で?」ってなる。小田原に移住するにおいては、あまり小田原駅の近くに住むメリットは無いのではないだろうか。

開成駅近辺エリア

 通勤:★★☆ 小田原駅まで小田急で約10分。
 買物:★★★ 駅前のマックスバリュが24時間。
 環境:★☆☆ 特に何かあるわけでもない。夜は暗い。
 家賃:★★★ 家賃は安い。2LDK新築で6万円台がある。ただし駅近は物件が少ない。
 主なメリット:駅前のマックスバリュが便利(24時間営業)。
 主なデメリット:駅から離れると寂しい雰囲気。
【まとめ】 小田急により重点的に再開発をされており、西湘地域で唯一人口が増えている地域とのことだ。駅前というより、駅から少し離れた大通りの近くが開発されていた。新築の戸建てがガツガツ建築されている。近くに富士フィルムという大きな会社があるため、その従業員を中心に移住が進んでいる様子。戸建てが充実する一方で、賃貸物件は少ない。1件新築で気になる物件があるにはあったが、あまりに周りが寂しい雰囲気だったのでやめた。

大きな通り沿いエリア

 通勤:★★☆ 徒歩通勤は無理だが、自転車でも通える
 買物:★★☆ 安くは無いが大体何でもそろうスーパーが徒歩圏内
 環境:★★☆ 大きな通り沿いなので、夜でも結構明るい。公園もある。
 家賃:★★☆ 駅から離れる割には少し高め。物件も少なめ。
 主なメリット:夜帰るときにそこそこ大きい通りを通るから怖さが少ない
 主なデメリット:駅から遠いから、飲んだ帰りに歩くとつらい。→タクシー代の出費増
【まとめ】 特に大きなデメリットが無かったため、ここに決めた。今のところ特に不満も問題もない。飲み会の時だけちょっとつらい。(駅から歩くと30分くらいかかる。)

働く人が小田原に移住するなら大通り沿いがおすすめ

 僕のように普通に働く場合は、小田原は夜とても暗いので、住むならある程度大きな道沿いがおすすめです。今のところ特に不満は無し。「完全に仕事をリタイアして、5時には帰宅して7時に寝ます」という方は、気にしなくても良いかもしれません。あとは車通勤だったら別に気にしなくてよいかも。いいなあ、車通勤。

Bリーグファイナル観戦&野毛でディープなハシゴ酒。怒られるホッピー仙人常連。

Bリーグファイナル観戦。アルバルク東京強し。

 フジロック仲間であり相撲仲間であり飲み仲間であるTさん、Kさんと3人でBリーグ観戦に行くことになった。僕が小田原に引っ越したこともあり、最近めっきり誘いが減っていたので、危機感あり。僕の空きポストには孤高のドランカーO氏が急上昇しているとのこと。ピンチ。

 Bリーグのファイナル。昨年は代々木体育館だったが、今年は横浜アリーナ。カードはアルバルク東京千葉ジェッツ。あまり普段はBリーグの試合を見ていないのだが、アルバルクには広瀬アリスさんの恋人として最近話題の田中大貴選手や、若手の有望株である馬場雄大選手がいることもあり、何となく知っている感が。千葉の選手はほぼ知らない。名前と顔が分かるのは富樫選手くらい。

 Bリーグは「Bスマチケ」というサービスがあり、紙チケット不要でアプリでチケット購入→受け取りが可能。これは便利。今回はKさんがまとめてチケットを買ってくれたんだけど、各人にアプリを通してチケットを配れるから、当日万が一誰かが遅刻しても問題無い。再入場時に紙チケットを失くす心配もない。すごく便利。 http://sp.bleague-ticket.jp/app/

 会場の中は、赤い色の服を着た人だらけ。両チームともチームカラーが赤だから。試合前に観戦している有名人の紹介がされる。ホリエモン桜井日奈子さん、女バス有名人らが見に来ていた。驚くべきことに、T氏もK氏も桜井日奈子を知らなかった。佐野ひなことは違うの?」とのこと。

 試合は序盤は競ったものの、徐々に差が付き、3Q終了時点で12点差。点差以上に勢いに差があり、千葉はキーマンの富樫選手がほぼなにもさせてもらえない状態。かつ外国人は無理な遠目のシュートを打っては外す。東京もところどころミスがあったが、千葉はそこで自分の流れに持ってこれなかったように感じた。最終的には25点差がついて、アルバルク東京が優勝。ミスが少ない&チームの連動がうまくいった方が勝った。印象的だったのは田中選手のフェイク。バスケ素人から見ても凄かった。馬場選手のダンクも凄かった。

桜木町に移動。野毛で4軒ハシゴ酒。常連さんとの出会い。

 終了後は桜木町に移動。駅直結の飲み屋街がある。ふくふくという店に行った。 https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140102/14067494/ レモンサワーが特徴的。つまみは刺し盛りが美味しかった。 ▲カチカチに凍ったレモン ▲これで500円は破格

 2軒目は寿司屋「じん」。T氏が前に通りがかりで&Kさんがネットで気になっていた店。入ると我々の他にお客はいなかった。職人さん1名、店員の女性1名。職人さんはかつて会員制高級ホテルの板前さんだったとのこと。開店まだ半年。 にぎりはいずれも高レベル&低価格。うずらのにぎりが珍しく、美味しかった。寿司屋のグラタンもおすすめ。 https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140102/14061916/ うずらの卵のにぎり

 3軒目は「ホッピー仙人」。川沿いのスナックがギュウギュウに詰まった建物に入っている。2階の店の前から人が溢れ出ていて、廊下が混雑気味。どうやら何人かお店を出たとこらしい。どさくさに紛れてお店に入り込めた。カウンターが8席くらいか。あとは10人ちょいが立ち飲み。若かりし頃の吉田類さんの写真が飾られている。正直座りたいな&これじゃ話がしづれーやと思ってあんまり気が乗らなかったが、ホッピー仙人のホッピー力はそれはそれは大したものだった。おいしい。Tさんはホッピーが苦手だったが、ここのはおいしいとのこと。店の常連という37歳の方(以下常連さん)と知り合い、主にKさんが意気投合。いろいろ常連メニューを教えてくれてありがたかった。 ▲青りんご。Kさんのを撮影。

叱られる常連さん。頑張れ常連さん。

 その常連さんが「良い店があるから連れてってもよい」というので、お言葉に甘えて連れてってもらうことにした。その方も酔いのせいか、生来のものか、その店への道を2回ほど間違えるミス。最終的には僕がgoogleマップで検索して店にたどり着いた。宮川橋もつ肉店。お店の外まで人が溢れている。人気店のようだ。 ▲大人気

 キャッシュオンの立ち飲み。注文が独特というか、下手をうつと怒られるとのことで、常連さんに注文してもらう。僕とTさんは席確保役だったが、常連さんと一緒に注文に行ったKさん曰く「常連さんがガチで怒られていた。俺は怖い」とのこと。常連さんが店主からのガチギレと引き換えに手に入れてきたモツ煮はとても美味しかった。焼き物も絶品。すごく良い。  次の注文がしたい。Kさんが「俺は怖い」と言ってきかないので、次は僕とTさんで注文に。正直普通にしてればそんな怒られないので、常連さんが怒られヅラをしていたのではというのが僕の見解。主な注意点は下記のとおり。

  • 店員さんの導線上に立たない。(足元の白線に注意)
  • 最初の注文時はまず人数を伝える。
  • 串焼きは肉の種類⇨味付け⇨本数の順番で言う。

 下2つはレジとか、壁に書いてある。他にも何かあったかもしれないけど、忘れました。結局終電まで飲んで帰宅。久々にハシゴ酒をして楽しかった。

信州男3人旅:最終日 〜唐突なスピリチュアル〜

2日目。今昔庵との別れ。そして温泉へ。

 二日目。夜は寒かったが、前夜悪態をつくだけついてスッキリしたのと、電気毛布のおかげで快眠。ありがとう今昔庵氏。

 ホームステイ先を出て朝風呂を浴びる温泉を探す。「不動湯」という温泉が、いい感じに辺鄙なところにあって気になったので、そこへ向かった。広めの県道から一本入った、用水路と並走する細い道。途中、神社があったので寄り道。「南朝英霊」「太山府君」の文字が読めたが、不勉強のため何のことかわからない。足元に一つだけ食虫植物みたいな草を発見。なんだろう、これ。 ▲食虫植物?

 そこから車で10分弱。不動湯に到着。昔ながらの温泉宿という感じ。お風呂は通常のお客さん用のほかに、療養専用のお風呂があった。泉質はサラサラ、温度も若干ぬるめで、長く入れる。効きそうではあるが、長期滞在はさすがに気が滅入りそうなロケーション。 アトピーに効くらしい

 温泉からの帰り道、行きは見落としたが、面白いものを発見。砂防ダムへの立ち入りを禁止するものだが、形がツンツンしている。足が折れたデイブグロールの「雷様スタイル」を思い出す。 ▲横からも刺さる

硬い硬い吉田うどんと1年ぶりの再会

 風呂も入ったので腹ごしらえをすることに。1年ぶりにあの固い吉田うどんが恋しくなった。ミッチーは食べたことが無く、食べたいという。幸い温泉から15分ほどの近くに、「みうらうどん」というお店があったので、そこに食べに行くことにした。時間は昼時より少し早かったが、駐車場はほぼ満車。トゥインゴがセレブ止めしていて駐車に難儀したが、何とか入店。

 お店もほぼ満席。前回訪問した「くれちうどん」もそうだったが、今回も座敷に低いテーブルでガンガン相席していくスタイル。これが吉田うどんの正しいスタイルなのだろうか。入口近くに3人座れるスペースがあったので、着席。 ▲吉田うどんは座敷スタイル

 僕とたくみは「肉うどん」、ミッチーは「肉うどん・大」を注文。暖かいうどんにした。くれちうどん同様固めのうどんではあったが、前回と違い暖かいつゆに麺がつかっていることもあり、若干柔らかめだった。それでも固いけど。味はさっぱりしていて、肉はしっかり。とてもおいしかった。ミッチーも満足した様子。吉田うどん、あまり知名度は無いかもしれないが、固いうどんが好きな人は好きだと思うので、是非食べてみてほしい。 ▲肉うどん

リニア見学

 腹ごしらえが終わり、特に行く当てもなかったので、車の中で作戦会議。高尾へ戻る道の途中に山梨県立リニア見学センターという、リニアモーターカーの見学施設があるのを知り、そこに行くことにした。

 天気は悪くなってきており、今にも雨が降り出しそう。山梨リニア見学センターに到着。このセンターはリニアの説明に重きを置いた「どきどきリニア館」と、お土産屋と展望室がある「わくわく山梨館」からなる。とにかくリニアが見たかったので、まずは「どきどきリニア館」へ。入って早々残念な事実が。「本日実験走行はありません」とのこと。この週で走らないのはこの日だけ。何とも運がない。一応入館する。受付でリニア試乗会の応募用紙を渡されたので、記入&投函。当たると7月後半くらいにリニアに乗れるらしい。

1階は前の型の車両(実物)が展示されていた。中にも入れる。内側は普通の新幹線のようだ。外側も新幹線みたいだが、外板の内側に超電導が仕込まれていて、これを冷却することで、S極とN極が云々。とにかく浮く。そして早く走る。

 2階では超電導現象を利用した実験を見ることができる。液体窒素で冷却された石がジェットコースターのミニチュアみたいなレールの上に浮いたり、中々のスピードで走ったり。石は10万円くらいするらしい。値段と見た目的にこれか…?ネットで買えるとは。

 本物のリニアの走りは見ることができなかったが、ミニリニアは乗ることができた。乗った感覚的にはデパートの屋上にあるアンパンマンの遊具とさほど変わらないが、使われている技術はリニアのもの。 ▲ミッチーが乗車(顔出しNG)

旅も大詰め。そしてスピリチュアルワールドへ

 リニアも満喫し、雨は本降り。いよいよ旅も終わりが近づく。解散は、集合場所と同じく高尾駅に設定した。20号を戻る。

 最後にゆっくりコーヒーでも飲みたいな。その時、前日に通りがかって気になっていた店のことを思い出した。その店は湖のほとりにあって、少し古ぼけた感じの建物。昨日は晴れていたので、自転車がたくさん停まって、繁盛している様子だった。帰りも通る道だ。寄ってみることにした。

 今日は雨だから自転車乗りはいない。入ってみると、小洒落た自然派カフェという感じ。結構広い。暖炉もある。着席し、僕とたくみはピザトーストとコーヒー、ミッチーはマドレーヌとコーヒーを注文した。たくみがトイレへ行き、僕は店内をうろついた。なんとなくアフリカとのつながりが強い店なのだろう。アフリカっぽい写真が割とスペースをとって展示してある。そしてテーブルにはなにやら本が。女性の伝記っぽい本と、絵本みたいなのが置いてある。この時点で僕の妖怪アンテナはビンビンだ。よく見ると、柱に紙が貼ってあって、コーヒー豆の焙煎時にその何某かのサウンドを聞かせていると書いてある。 ▲コーヒー豆に尊敬語を使っていくストロングスタイル

 妖怪アンテナの針が振り切れそうだったので、一旦席に戻り、キーワードっぽいワードを検索すると、やはりそちら系のやつであった。その団体絡みのトラブルのページを熟読し、ミッチーにそれを伝えようと横を見ると、ミッチーも同じページを見ていた。そして二人は目を合わせ、かすかに微笑み合うと、「やっべえぞ」と声に出さずに通じあうのだった。この旅2回目。何度でも言うが、おじさん同士のテレパシーは気持ち悪いだけだ。

 たくみが席に戻ってきて、「声に出すなよ」と伝えてスマホの画面を見せると、「うわー、ここ?ここがこれなの?」と話すので、マジで友達はしっかり選ぶべきだったと反省しつつ、「ちょっと黙ってもらえる?」とガチの注意をする。

 果たして、出されたコーヒーもトーストも、とても美味しかった。値段も普通。当然だが勧誘等も無く。ただ得体の知れぬ団体にごく僅かではあるが資金提供をしてしまった不快感は残る。外観から「その要素」は全くうかがい知れないので、もう少しわかりやすく店構えに出してもらいたいものだと思う。そんなことするわけないけど。 ▲コーヒーはおいしい。なぜならサウンドを聴いていただいているから。

 高尾に戻って解散。来年は常陸牛がいいかな。

信州牛を食べる男3人旅:初日 〜素晴らしき「八ツ沢発電所施設 第一号水路橋」〜

思い出せ!楽しかったこともあったはずだ

今昔庵ホームステイ事件がショック過ぎて昼間の楽しい思い出が半分くらい吹き飛んではいますが、全て失う前に書きます。

そば屋で腹ごしらえ→帝京科学大学うまセンター

高尾でたくみとミッチーを広い、国道20号をひたすら西へ。お昼時でお腹が空いていたので、適当な蕎麦屋を発見し、入店。

そばき里 休屋 https://tabelog.com/kanagawa/A1407/A140701/14006741/

 お腹が減っていた&あまり店が無かったので、調べもせず適当に入ったお店だったが、そばのレベルは非常に高く、とてもおいしかった 。天ぷらも揚げたて。 ▲期待以上のそば

 お店を出てからもひたすら西へ。途中、右手に団地への入り口を発見。地図を見ると、そこだけ一つの集落になっている様子。寄り道してみる。団地というより、戸建ての集落。面白かったのは、 入って間もないところに、その集落内の地図と、その家主の名前が全て入った看板があったこと 。これだけ個人情報が厳しい時代になったが、誰がどこに住んでいるのか一目瞭然だ。

 恐らく外部の車が入ってくることもそうそう無いのだろう。軒下で談笑する人や、犬の散歩をする人からは遠慮の無い視線を浴びせられた。小さな公園もあって、子供たちが5人ほど元気に遊んでいた。

 集落を退出し、西へ西へ。途中、遠くに発電所が見えた。山の上から大きなパイプが5本ほど下っている。ちょっと近くで見てみたいので、また寄り道。ガソリンスタンドのある交差点を曲がって、ズンズン進んでいく。すると、あんなに大きく見えていた発電所を見失ってしまった。その代わりに「帝京科学大学」の建物と、「うまセンター」とかかれた小屋を発見。その名に嘘はなく、馬が2頭いた。 ▲いい尻

八ツ沢発電所との出会い。「あのダム」と同じく国の重要文化財

 車を降りて馬を眺めたあと、再出発。カーナビを頼りに、細い路地に入り込んだりしながらも、何とか見やすいスポットに到達した。

特にダム湖などはない。大きい発電所。近くには流れが弱い細い川が流れている。小さめの魚がたくさん住んでいた。

 発電所のことを簡単に調べてみると、 「八ツ沢発電所」は調整池や水路橋などの設備込みで国の重要文化財に指定されている とのことだ。全国で3例目。ほかの2つのうち1つは、去年たくみドナ旅行で偶然訪れたあの 「読書発電所 。もう一個は群馬方面のようだ。狙わずにたどり着きたい。

 今回、重要文化財に指定されたものは、取水口施設、隧道、水路橋(谷間などに水路を渡すための橋)、調整池をはじめとする合計20箇所の発電所関連施設と土地で、約14kmの範囲におよび、わが国の重要文化財の中で最大規模となります。 (http://www.tepco.co.jp/cc/press/05122701-j.html より引用)

 気になったのは大きな貯水池である「大野調整池」、そして第1号水路橋だ。まずは「大野調整池」を見に行くことにした。そうそう、この大学の近くにある消防署が異様に近代的でおどろいた。他の建物と比べてデザインも凝っているし、新しい。「かつて大規模火災があったときに近くに消防署が無く多くの犠牲者を出した。その反省を踏まえて立派な消防署を建てた」と予想したが、正解は知らない。

大野調整池で見つけた棒。友への冷たい視線

 発電所を見ていたところから大野貯水池まで車で15分程度のドライブ。途中、パチンコ屋と中華料理屋という異様なコラボレーションを発見。中華すばるとパチンコSUBARUが同じ場所にある。道路を隔てて違う「SUBARU」の店舗もあった(閉店しており業種不明)。謎のすばる天国。 ▲両方「スバル」

 貯水池に到着。のんびりした、特に何もない貯水池。人も僕らの他に犬の散歩の人が1人いるだけ。池の周りを散歩した。たくみがやけに真っ直ぐかつ直径3センチくらいの立派な木の棒を拾った。「いい棒見つけた!」と言って振り回すたくみ氏を見るに、 友達はしっかりと選ぶべきであった と反省する。 ▲棒を振り回すたくみ氏

木の棒は脆く、すぐにポキポキ折れてしまった。しばらく歩くと、ベンチの下にさっきの木の棒と同じくらいのスペックの棒が沢山置いてあるのを発見。登山道の入り口だったので、おそらく親切な人が杖代わりに置いたのではないか。知らなかったとはいえ、たくみの許されざる罪がまた一つ追加されたことになる。  この貯水池から先ほどの発電所に水が送られて、発電されているのだろう。水の出口っぽいところがあったので、近寄って見てみると、水がなにやら動いて小さい渦ができたり消えたりしていた。 動きが不規則な感じで、下はどうなっているんだろうと想像を掻き立てられたが、検討もつかない 。誰か教えて。 ▲左下には小さな渦が

旧大目小学校→謎のプール付き諏訪神社@谷後

大野調整池を出て、1号水路橋へ向かう。途中、大目小学校があった。最初普通の小学校かと思って近づいたら、廃校だった。体育館だけは稼働している様子。入ってすぐの駐車場に「閉校記念碑」が建っていた。あんまりめでたい内容ではないが、別に記念碑がめでたくなくてはいけない道理も無いので、まあいいのかと思う。 ▲駐車場にあるのが記念碑

 さらに寄り道。谷後というところで何か祀っている様子の建物が遠めに見えた。近づくと、神社?になっていた。ガラス張りの建物になっていて、中が見える。中にも入れる。建物は密閉されているわけではないので、雨風は上から侵入してくるだろう。建物の中の石には「諏訪神社」と書かれているので、「諏訪神社」なのだろう。 諏訪神社

  特徴的だったのはその神社の脇にあるプール 。水は緑に濁っていて、最初は池かとおもったが、しっかり手すりもあるし、たぶんプール。いざという時の水確保の目的もあるのだろうか。謎だ。 ▲プール?

観音像と、富士山が良く見えるお寺→トゥルシー

宝勝寺というお寺を発見。大観音があるとのことなので、寄り道。山を登るとしっかりと観音があった。大きさは「大」かというと、「中」くらいだろう。見どころは観音様の右脇のスペースから見える富士山。少し高台にあることもあり、いい感じのロケーションになっている。この日の天気だと、写真では見えにくい。残念。 ▲肉眼だとはっきり富士山が見えている

車に戻りしばらく進むと木の枝で作った巨神兵や、トトロやくまもんが見えた。最初カカシかなと思ったけど、別に守るべき農作物もなさそうなので、たぶん趣味。木材屋さんだろうか。釣りをしてたりブランコに乗っていたり、やたら凝っている。 ▲釣りと巨神兵

 そばってどうしてこんなに早く消化してしまうんだろう。あっという間に腹が減る。少し先の鳥沢駅の近くに「トゥルシー」というカフェがあったので、そこへ向かう。着いてみると、プレハブっぽい建物の2階。外には猫と犬が一匹ずついた。中はいかにも自然派という感じ。オーガニック圧が強いと思って少し苦手なお店と感じた。パンがもう残り少なくなっていたが、いくつか買ってコーヒーと一緒に店内で食べた。味は美味しかった。

酵母パンとスープのお店 トゥルシー https://tulsi-coubo.jimdo.com/

念願の第1号水路橋は期待以上。→そしてあの悪夢へ

次は第1号水路橋だ。車でまた20分くらい。日本三大奇橋のうちの1つである「猿橋」と並んでいた。猿橋は、なんだか建造物としての魅力は感じなかった。補強されて新しく見えるからかな。もっと古くなれば味が出るかも。桂川は立派な川。水もきれいだった。コイかな?結構な大きさの魚が泳いでいる影が見えた。

一方、 第1号水路橋はとてもすばらしかった 。4メートルくらいの幅の橋の上を大量の水が流れて山の中に吸い込まれていく。公衆トイレの裏側からが一番よく見えた。日本にこのサイズかつこれだけ見やすいものが他にもあるのだろうか。あるならば他にも見てみたい。 ▲すばらしき水路橋

肉買ってから悲劇のホームステイへ

猿橋を離れる頃には夕方になっていたので、後は肉を買って宿へ向かうだけ。大西肉店本店というお店で肉を買った。サーロインなどやロースを中心に、焼きそば用のバラ肉も含めて1万円分ほど。前回の旅行で訪れた肉屋は「アンチ信州牛」であったが、この店は普通に信州牛がたくさん置いてあった。

これで、準備万端。そして、あの悲劇の今昔庵へとつながっていくのです。

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