小田原に移住したよ。

小田原移住日記

唐突な転職で小田原に引っ越した男の顛末

原発こえー

余震。本当に勘弁して欲しい。

会社のビル,もの凄く揺れるんだ。怖い怖い。

そして,原発が収まらない。

東電(及び政府)が批判されている理由は大きく二つ。「散々指摘を受けていたにもかかわらず,耐震,津波対策を怠ってきた」という,事故が起こる前の対応のずさんさ。もう一つは「廃炉前提とした速やかな海水注入をためらい,被害の拡大を招いた」,「情報の隠蔽」など,事故が起こった後の対応のまずさ。

津波による全電源喪失については数年前より各所から指摘がされていたということ。これについては,東電の社長が原発設計段階の津波の想定について「甘かった」と認める発言をしてるから,「想定外」だったのではなく,「想定内」であったにも関わらず,油断があったことは東電自身も認めるところだ。そしてその東電の甘い認識を見逃した,当時の政府の責任も重大だ。

AFP通信の報じるところによれば,「原子炉の温度調整を行う電動弁に電力を供給する分電盤が11年間点検されていなかったことや、実際には簡易点検だったにもかかわらず本格点検を実施したと記載していた事例などが明るみになった(2011年3月24日)」とあり,ずさんな管理が日常化していた事も明らかになっている。

これらの経過を踏まえてなお,「天災」の一言で片付けてしまう人は仏の心を持っているか,被災者に対する想像力を欠いてるかどちらかだ。今回の事故は防ぐことができた。それは最早間違いない事実だ。

それでもなお,起こってしまったことを「今」責めても仕方がない。今この瞬間,まず第一に東電や政府に求められるのは,正確な情報を素早く入手し公開すること。同時に誤りの無い対応策を示すことだ。これらは人命に直結する。大震災発生直後から,福島第一原発については深刻な事態であるとの見通しが立っていたことが,明らかになりつつある。発表を小出しにし続ける背景には混乱を避けるという意味もあったのだろうが,4月11日になってようやく設定された原発20km圏外の「計画的避難区域」などの混乱を見ると,結果としてどうだったのかと思わざるを得ない。飯館村をはじめとする対象地域に住む人の苦労を思うと,本当に心が苦しい。これら事故後の対応については,現在進行形なので,ガッチリ批判がされるべきだと思う。「東電の現場の人は頑張ってる」というのは次元が違う話だ。

東電も政府も,何も「事故を起こしてやろう」というつもりではなかったことは間違いない。ただ,人間は油断をし,ミスをする生き物。そして,自然は人間の想定したものを遙かに超える力があるということが今回改めて分かった。

原発の安全とは,「想定できないものを想定し,完璧な人間が管理する」という実現不可能な前提の上に成り立つもの。である以上「安全な原発」というものは,「一つもない」ということになる。今回の事故による被害と利便性を含めたあらゆる事とを比較して,等価だとは到底考えることができない。家が壊れたら建てればいい。作物がダメになったら,また作ればいい。でも,それらをするための土地が,原発によって不毛の地となってしまったら。立ち上がる為の地面が無くなってしまうのだ。

電力資源の0からの見直しを検討せず,従来の供給量のみを根拠に「原発が無ければ困るから仕方ない」という主張は,「危ないから今すぐ全部原発を止めろ」という主張と同様に無責任だと思う。もう一度全てを見直す時期が来たんじゃないかな。僕は今回の事故を受けて,目標年数を決めて緩やかに脱原発を進めるべきだと思った。頭がいい人,日本には沢山いるはず。日本にはそれが出来ると思うし,やらねばならないとも思う。

まじめか!