小田原に移住したよ。

小田原移住日記

唐突な転職で小田原に引っ越した男の顛末

タイトルなし

 初めて友人を失くしたのは、大学3年の時。大学のゼミ旅行から帰ってきたら母親からメッセージがあり、幼稚園の頃からの友人が急死したことを知った。それからいくつか近しい人々の死も経験したりして、30代も後半に差し掛かり、葬式で出てくる涙の量が昔より少ない気がして、「俺もいよいよ大人になった」なんて思うこともある。それは、人の死に対して「かわいそう」と思う気持ちの他に、「俺もいつかそっち行くよ」というのを徐々に、本当の意味で理解しつつあるからではないかと思う。

 昔読んだ小林よしのりの漫画で、「人は最後は死を受け入れて死ぬのではないか」という主旨のことが書いてあった。そんなわけあるかいと当時は思ったけど、何となく今は言わんとすることは分かる。昔と比べて目が悪くなったり、酒が抜けなくなったり、傷が治りにくかったり、近い年齢の人が亡くなったり。そういう時に、ふとその先にあるものが視界に入ることがある。また漫画の話だが、ぼのぼので「治るって楽しい」という回があった。ぼのぼのの風邪が治るだけの話なんだけど、「治る」ことの重要性が凝縮されている。治ること。つまり、元通りになることへの執着こそが、すなわち生きることへの執着となるのではないか。年を取ってくると、元に戻らないことが増えてくる。元に戻らないということは「一生それと付き合ってく」ということ。そんなことを受け入れていく連続の先に「死すらも受け入れる」ということがあるのではないか。

 20代前半で僕は飛蚊症になって、目の奥に小さい虫見たいのがピュンピュン飛んでるように見えた。すげー嫌で、一生これか…と憂鬱になったり、コンタクトレンズを購入する度に眼科で「これ何とかならんですか?」と聞いたりしていた。その度治らないと言われ、落ち込んだものだ。当然今も治っていなくて、むしろ虫増えてない?と思うが、昔ほど気にならない。これは、「一生こう」という事を受け入れたという事だ。言い換えれば、「昔の形状を失った」ということ。見慣れないホクロを見つけたり、白髪見つけたり、寒いと膝関節が痛むようになったり、と発展していく。そして、最終的には目がほとんど見えなくなったり、シャレにならない病になったりして、でも、最後は何となくそれを受け入れるのではないか。

 一方で、また漫画の話で、藤子・F・不二夫の短編「ある日」で、日常の唐突な終了で核戦争が表現されたように、「失うこと」の多くは、なんの伏線も説得力も持たずに唐突に訪れる。ホクロだろうが死だろうが、サイズは関係ない。徐々に、少しずつ、部分的に、チマチマと受け入れていくべきものが、唐突に目の前に現れる。そんな時、「なぜそうなった」「どうしたらいいのか」と、過去の記憶や想像を頼りに考えを巡らせても、ウルトラマンブルトンみたいにいびつな形の思考ができあがるだけだ。

 なんてことをダラダラ考えているのは、前々職で同僚であった同世代の友人の急すぎる訃報に接したからだ。

 不幸な出来事が、もっともな理屈と説得力を土産にやってくる、なんてことはない。理屈や分析ばかりがもてはやされて、1%でも合理的であることが良いとされる世の中においても、それは変わらない。特に受け入れがたい喪失、命に関わる喪失を受け入れるための便利技は無く、自分の頭で考えて想像して、なんかそれっぽいモノの見方を捻り出すしかないんだなと思う。しっくりこなくても、とりあえずなんか一応置いておく。そんな事を繰り返して、いつかやっぱり受け入れることができるのだろう。

 とりあえず今はブルトンを置いておこう。

 会社を辞める時に多分本当に結構寂しがってくれていた彼の姿が頭の中に浮かぶ。また飲みたかったな。ご冥福をいのります。